コラム:自己管理を助けるツールと習慣
研究生活では、日々の作業や中長期の課題を見失わないための自己管理が、思っている以上に効いてきます。ツールや習慣は、その助けになるだけでなく、気持ちを安定させる柱にもなります。
僕自身、学生の頃からいろいろなツールを試してきました。Mac標準のToDoや、流行りのタスク管理SaaS、ポモドーロタイマーのアプリ、ホワイトボード系のツールなど、その時々で乗り換えながら、自分に合う形を探ってきました。最終的に今落ち着いているのは、Obsidianを中心にした、わりと地味でシンプルな構成です。
今使っているもの
タスクや日々のノートは、いまは Obsidian にまとめています。以前はInkdropというツールを使っていましたが、根っこは同じで、オフラインのMarkdownツールが自分の使い勝手にいちばん合う、というのが今の結論です。クラウドのSaaSは便利ですが、データを「自分の手元」に置いておきたい感覚があって、その点でMarkdown+ローカルファイルという形は自分に向いていました。
カレンダーは Mac標準のカレンダー です。Googleカレンダーも長く使っていましたが、最終的にはOS標準で十分でした。ポモドーロタイマーは、 自作したもの を使っています。シンプルで自分のリズムに合わせやすい形が欲しくて、結局自分で作って使うのがいちばん早かった、という顛末です。Miroのようなホワイトボードツールは、関係性や重要度を視覚的に整理したいときに、たまに開きます。頻繁ではありません。
デイリーノートと、書きながら考える習慣
このなかで、いまの自分にいちばんフィットしているのが、 「日ごとの個別ノート」を作る習慣 です。実は昔も一時期やっていて、最近また再開したものです。
何をしているかというと、その日のタスク状況を冒頭に書いておいて、あとは思い立ったタイミングで、 「いまの時刻」と「いまやったこと」をひたすら書き連ねていく ——それだけです。
09:42 メール処理、返信3件
10:05 ◯◯論文の関連研究セクション、書き直し開始
10:38 一旦止めてコーヒー。少しぼーっとする
11:10 戻ってきて、図のラフを書き直し
...
ルールはとくにありません。書き忘れた時間帯があっても気にしない。「今日はうまく書けなかったな」みたいな感想を挟んでもいいし、突然浮かんだアイデアを書き殴ってもいい。 フォーマットを律儀に守ろうとせず、忘れてもOKという緩さで運用する のが、続けるコツです。
聞くところによると、これは認知行動療法でも使われている方法らしく、自分の活動を時刻と一緒に記録することで、いまの自分が何に時間を使っているかが見えるようになる、という効果があるそうです。実際やってみると、「気がついたら30分動画を観ていた」というような時間の取りこぼしも、書こうとすると素直に目に入ってきます。立派なログを取ろうと気負わないからこそ書けて、書こうとするから時間の輪郭がくっきりしてくる、という妙な順番で効いてきます。
不思議なことに、この緩い習慣は僕の身体にすっと馴染んでいます。逆に、もっと立派に「ちゃんと管理しよう」とすると、たいてい続きません。 続けやすさが優先で、完璧さは要らない ——これを許してくれる仕組みだから、続けられているのだと思います。
ツール沼を経て、シンプルへ
過去には、新しいツールに夢中になりすぎて、肝心の作業が進まなくなる、という典型的な沼にもはまりました。タスクアプリを試して、ノートアプリを試して、設定とテンプレートを工夫すること自体が目的化していく、というやつです。心当たりのある人は、たぶん少なくないと思います。
そこから、「最小限で最大の効果を出す」シンプルな構成のほうが、自分には合うのだと学びました。 ツールはあくまで補助です。自己管理の本質は、「自分を縛るため」ではなく「自分を自由にするため」の技術にある 、というのが今の感覚です。
いちばん大事なのは、完璧を求めず、自分にとって自然で続けやすい仕組みを見つけることです。そして、朝のタスクリストや、デイリーノートへの細かい時刻メモのような、 地味で小さい習慣を積み重ねていくこと 。こういう積み重ねが、研究者としての成長と、日々の気持ちの安定を支える土台になってくれます。
余談:意志ではなく仕組みで支える、という発想
ここまで挙げてきたツールや習慣の根っこには、「意志を鍛えるのではなく、意志に頼らなくても回る仕組みを作る」という発想があります。僕の場合、この発想はもともと研究のほうから染みてきました。Intelligent Tutoring System(コンピュータが学習者を支援する仕組み)の設計をしていると、学習者がうまく学べないときに、その原因を意欲や努力の量で説明する作法がありません。提示する情報の量や順序、課題と動機の噛み合い、つまずきへのフィードバックの遅さ——「設計のどこがズレているか」を疑うところから入ります。
自分の生活設計にも同じ目線を向けるようになってから、自己管理がだいぶ楽になりました。机の前で手が止まるとき、責めるのは自分の意志ではなくて、タスクの組み立て方か、その時間と作業の組み合わせか、動機の置き所か——どれかが今日の自分にフィットしていないだけ、ということが多い。そう捉えられると、打つ手が変わります。