リサーチアジェンダの設定
研究が一段落したとき、あなたはよく「次に何をするか?」という問いに直面します。一本の論文や一つのプロジェクトを終えた直後の、あの少し空虚な感じ。研究を続けていれば、誰もが何度か通る瞬間です。そこで効いてくるのが、 リサーチアジェンダ という考え方です。
リサーチアジェンダというと、なにやら大層な響きですが、要するに「自分の研究計画と中長期的なテーマの見通し」のことです。一本の論文の計画ではなく、これから数年かけてどんな問いに取り組んでいきたいか、という、もう一段大きな視座での地図のことを指します。
リサーチアジェンダとは何か
リサーチアジェンダは、「やりたいことリスト」とは少し違います。やりたいことリストは、思いつくままに並べた願望の集まりですが、リサーチアジェンダはもう少し戦略的で、しかし同時に柔軟な計画です。
頭に置いておきたい要素は、おおむね次の四つです。 自分の興味や問いの核心はどこにあるのか 。 その問いは、どんな研究分野、テーマ、手法につながっていくのか 。 短期・中期・長期で、どんな展望を描けるのか 。 他者(研究コミュニティや社会)にとって、どんな意義を持ちうるのか 。
この四つを、無理にきっちり決めなくて構いません。最初は粗くていいので、自分の頭の中にあるものを言葉にしてみる。それだけで、これから先の研究の進め方が、ずいぶん見通しよくなります。
リサーチアジェンダは、 あなたと世界のあいだに橋を架ける設計図 だと考えるとしっくりきます。自分の中だけにある興味は、まだ研究にはなりません。世界の側にある問題や知の空白と、自分の興味がどこで交わるのか。その交わりを言葉にしていく作業が、リサーチアジェンダの設定です。これはまた、個別のプロジェクトを越えて「これから数年、何にこだわっていくのか」を、自分自身に向かって宣言する作業でもあります。
アジェンダを立てる視点
アジェンダ設定に詰まったときに、自分に投げてみたい問いがいくつかあります。
なぜ、この問いが自分にとって重要なのか。現状の知見や方法で、何が分かっていて、何が分かっていないのか。誰の、どんな問題解決に貢献できそうか。どんなスキルやリソースが必要になるか。そして、小さなプロジェクトを積み重ねて、中長期的な展望につなげられないか。
こういう問いを掘っていくと、ぼんやりした「興味」が、だんだん具体的なテーマや計画に姿を変えていきます。最初の答えはたいてい曖昧なのですが、答えようとすること自体が、自分のなかの輪郭を浮かび上がらせてくれます。一人で全部考えようとせず、メンターや友人と話しながら答えていくのがおすすめです。話す相手の「なぜ?」に答えるうちに、自分でも気づいていなかった核心が見えてくることがよくあります。
過去の研究を棚卸しする
アジェンダを立てるときに、忘れずにやっておきたいのが これまでの研究の棚卸し です。
具体的には、これまでの研究で何を明らかにできたのか、まだ解けていない問いや心に引っかかっている問いは何か、社会的・学術的にどんな文脈に接続しうるか――このあたりを、紙の上に書き出して整理していきます。頭の中だけでやろうとすると、たいてい同じところを堂々巡りします。一度外に出して、目で見える形にすることが大事です。
このプロセスを丁寧にやると、ある瞬間に気づきます。「あれ、次の数年で取り組みたいテーマって、すでに自分の手元に半分くらい用意されていたな」と。これまでの研究で諦めた論点、保留にした分析、もっと深めたかった現象。それらが、過去の研究の周辺にしっかり残っていることに気づくのです。新しいテーマは、必ずしもゼロから生み出さなくていい。これまでの自分の通ってきた道のなかに、すでに次の道筋の入り口が用意されています。
そしてこの棚卸しのプロセスでは、 メンターとの議論や、他の研究者との対話 が本当に効きます。一人の頭の中では片付かないものが、他者の言葉を通すことで急に形になることは、よくあることです。「あなたの研究のここが面白かった」と言ってもらえた言葉が、自分では気づいていなかったテーマの核を照らしてくれることがある。だから、この時期は意識的に話す機会を増やしてみてください。
アジェンダは進化する
最後に、ひとつだけ念を押しておきます。 リサーチアジェンダは、一度決めたら動かせない硬い計画ではありません。
研究を進めるなかで、問いや関心が変わったり、新しい視点が割り込んできたり、社会の側から思いがけない要請が来たりするのは、ごく自然なことです。三年前に立てたアジェンダがそのまま今も有効、ということはむしろ稀で、たいていは半年から一年くらいの周期で書き換えながら使うものです。
その都度アジェンダを見直し、アップデートしていく柔軟さのほうが、固く立派な計画よりずっと大事だと、僕は思っています。アジェンダの価値は、それを守り抜くことにではなく、節目ごとに自分の研究を見渡す視座を提供してくれることにあります。書き換えること自体が、研究者としての成熟のサインだと考えてみてください。
アジェンダは、あなたの研究人生と一緒に育っていく。そのくらいの気持ちで、手元の地図を書き換え続けていってほしいと思っています。