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コラム:初めての査読で知る「建設的批判」の意味

初めて査読付きジャーナルに論文を投稿したあとの数ヶ月間は、多くの人にとってひりひりした時間になります。投稿ボタンを押した瞬間の張り詰めた感覚、そのあとに続く落ち着かない日々。査読結果のメールが届く日が近づくほど、件名を見ないうちから胃が重くなる。これは研究者なら誰もが一度は通る道で、特別あなたが弱いという話ではありません。

ようやく届いた結果のメール。件名に「Major Revision Required」と書かれているのを見て、受け入れでも拒絶でもない中途半端さに一瞬ほっとし、次の瞬間にまた緊張する。恐る恐るPDFを開くと、査読者から数ページにわたるコメントがびっしり並んでいて、「こんなにダメ出しされるのか」と落ち込む。よくある光景です。

このとき、コメントが的を射ているように見えれば見えるほど、自分の研究が全部否定されたような気分になりがちです。返答書を書こうとしても手が動かない。指導教員に「最初はこんなものだよ」と慰められても、頭ではわかっているのに気持ちが追いつかない。その日はもう何もできずにPDFを閉じてしまう、というのも珍しい話ではありません。

でも不思議なもので、一晩寝てもう一度読み直すと、同じコメントの見え方が変わってくることがあります。「先行研究との関連をもう少し明確にしてほしい」という指摘は、論考の穴を親切に指差してくれているもの。「この手法では捉えきれない側面について、限界として認識していることを示してほしい」というコメントも、自分の研究を過大評価していた部分をそっと訂正してくれている。そう読めるようになる瞬間が、たいてい翌日にやってきます。査読コメントは批判ではなく提案だったのだと腑に落ちるのは、ほとんどの場合、一晩寝てからです。

そこから始まる修正作業は、たしかに大変です。新しい先行研究を読み直し、考察の章を書き直し、方法論の説明を膨らませる。数週間かけて修正版を仕上げ、返答書を添えて再投稿したとき、原稿は最初に送ったものとは別物になっています。査読前と査読後で、同じ研究なのに別の論文に見える——この体験こそが、研究観そのものを少しずつ変えていきます。

査読者は、研究を潰すためにコメントを書いているわけではありません。その研究の価値を最大限に引き出そうとしているのです。返答の最後に「この研究の核となるアイデアには価値があります。上記の修正を加えれば、もっと多くの読者に届く論文になるはずです」といった一言が添えられていることもあって、そうした瞬間に、査読の本質がようやく見えてきます。名前も顔も知らない相手だけれど、査読者はその論文にとっての重要な共著者のような存在なのだ、と。

僕は査読を「通過すべき試練」ではなく、 研究を向上させるための共同作業 として捉えています。自分が査読者として依頼を受けるようになっても、最初に立ち戻るのはこの感覚です。「どうすればこの著者の研究をより良くできるか」という視点でコメントを書くと、査読者側の仕事も手触りが変わります。

査読は確かに厳しいプロセスです。でもそれは、研究コミュニティ全体で知の質を高めようとする集合的な営みであって、その一員として参加できることは、研究者としての誇りでもあります。初めての査読コメントを受け取って落ち込んでいるあなたに、まずは一晩寝てから読み直してみてほしい、と伝えたいです。同じ文字列が、違う顔をして見えてくるはずです。