コラム:初めての査読で知った「建設的批判」の意味
初めて査読付きジャーナルに論文を投稿する時の心境は、多くの研究者にとって忘れがたいものです。 投稿ボタンを押した瞬間の緊張感、そして査読結果を待つ数ヶ月間の不安な気持ち。 これらは研究者なら誰もが通る道です。
査読結果が届くのは、通常投稿から数ヶ月後。 編集者からのメールの件名を見る瞬間は、心臓が止まりそうになるものです。 「Decision on your manuscript: Major Revision Required」
恐る恐るファイルを開くと、査読者から数ページにわたって びっしりとコメントが書かれた査読レポートが現れます。 「こんなにダメ出しされるなんて...」 最初は落胆と困惑しか感じないのが自然な反応でしょう。
しかし、一夜明けて冷静にコメントを読み返してみると、 その多くが非常に的確で建設的な指摘であることに気づくことがあります。
よくあるのは、重要な先行研究の指摘です。 「この研究は興味深いが、Smith et al. (2018)の知見とどう関連するのか 明確にしてほしい」といった指摘は、論考の穴を的確に突くものです。
また、研究手法の限界についてより率直に議論すべきという アドバイスを受けることもあります。 「この手法では○○の側面は捉えられないはずだが、その点についての 議論がない。限界を認識していることを示してほしい」
最初は「批判された」と感じる指摘も、実は研究をより良くするための 貴重なアドバイスなのです。
修正作業は確かに大変です。新しい先行研究を読み、 実験の限界について改めて検討し、議論の章を大幅に書き直す。 しかし、その過程で論文は格段に向上します。
印象深いのは、査読者からの励ましのコメントです。 「この研究の核となるアイデアは非常に価値があります。 上記の修正により、より多くの読者に伝わる論文になると確信しています」
査読者は、研究を潰そうとしているのではありません。 むしろ、その価値を最大限に引き出そうとしてくれているのです。 これが「建設的批判」の真の意味です。
修正版を再投稿した後、最終的に論文が採択された時、 査読者からの最終コメントには 「著者の丁寧な修正により、論文が大幅に改善された」とあることが多いです。
この経験を通じて、多くの研究者は査読を「通過すべき試練」ではなく、 「研究を向上させる貴重な機会」として捉えるようになります。
その後、自分が査読者として依頼を受けるようになった時も、 この経験が大いに役立ちます。 「どうすれば著者の研究をより良くできるか」という視点で 建設的なコメントを心がけることができるようになるのです。
査読は確かに厳しいプロセスです。しかし、それは研究コミュニティ全体で 知識の質を高めようとする集合的な努力の表れなのです。 その一員として参加できることは、研究者の誇りでもあります。