学位論文の構造
これまでの章は、学術雑誌や国際会議に投稿する論文を前提に書いてきました。 ただ、あなたが最初に書くのは、たぶん卒業論文か修士論文です。 この二つは、投稿論文とは読者も目的も違います。
投稿論文の読者は、その分野の研究者です。 前提知識を共有しているので、既知の説明は省けますし、ページ数の制限があるので省かなければなりません。
学位論文の読者は、審査する教員です。 あなたが何をわかっていて、何を自力でやったのかを判断するために読みます。 だから、投稿論文では省く説明を、むしろ書く必要があります。 使った手法をなぜ選んだのか、前提となる理論はどういうものか、実装のどこを自分で作ったのか。 学位論文は、成果の報告書であると同時に、理解と力量の証明書 です。
定番の章立て
分野によって差はありますが、日本の工学系・情報系の学位論文は、だいたい次の形に落ち着きます。
第1章 序論 研究の背景、問題意識、目的、本論文の構成
第2章 関連研究 既存研究の整理と、本研究の位置づけ
第3章 提案手法 (あるいは:理論的枠組み、システム設計)
第4章 実装・実験方法 何をどう作り、どう検証したか
第5章 結果
第6章 考察
第7章 結論 まとめと今後の課題
謝辞
参考文献
付録
IMRaD との関係でいえば、投稿論文の Introduction が第1章と第2章に分かれ、Methods が第3章と第4章に分かれる、と考えるとわかりやすいと思います。 分ける理由は分量です。 関連研究は投稿論文なら数段落ですが、学位論文では一章分の整理が求められます。
第1章の最後に「本論文の構成」を置くのは、学位論文特有の作法です。 「第2章では〜を述べ、第3章では〜を提案する」と書いておくと、審査員が全体を把握したうえで読み始められます。
分量の配分
卒業論文で 30〜50 ページ、修士論文で 60〜100 ページというのが、よくある規模です。 所属する専攻に規定があるなら、当然そちらが優先されます。
配分の目安としては、序論と関連研究で全体の 3 割、提案と方法で 3 割、結果と考察で 3 割、結論で 1 割といったところです。 ここで崩れやすいのが関連研究で、読んだ論文を全部紹介しようとして、一章の半分を占めてしまうことがあります。 関連研究の章の目的は、読んだ量を示すことではなく、自分の研究が埋める隙間を示すこと です。 その隙間の説明に必要な研究だけを、系統立てて並べます。
逆に薄くなりやすいのが考察です。 考察・限界・結論の書き方 でも書きましたが、ここは時間を確保しておかないと確実に痩せます。
投稿論文を書いてある場合
修士課程で学会発表や論文投稿をしていると、学位論文はそれらを束ねる作業になります。 このとき、発表原稿をそのまま章として並べるのは避けてください。 章ごとに用語が違う、同じ背景説明が三度出てくる、図のスタイルが揃っていない、という論文になります。
束ねるときにやることは三つです。 用語と記号を全体で統一すること。 重複する背景説明を第1章と第2章に集約すること。 そして、各章が全体のどこに位置するのかを説明する文を、章のはじめに足すこと です。
この作業をしていると、個々の発表を書いていたときには見えていなかった共通の問題意識が言葉になることがあります。 それが見つかったら、第1章の目的の書き直しに反映してください。
付録に何を置くか
本文に入れると流れが切れるが、審査では見てほしいもの。 これが付録の役割です。
置く候補としては、実験で使った教示文や質問紙の全文、実装したプログラムの主要部分、詳細なパラメータの一覧、本文に載せきれなかった個別データや追加分析、倫理審査の承認番号や同意書の様式などがあります。
卒論では、実験参加者への教示文を付録に入れておくと、口頭審査で「参加者にはどう説明したのか」と聞かれたときにそのまま示せます。
締切からの逆算
提出日から逆算した日程を、書き始める前に一度組んでおきます。 ここを組まずに走ると、たいてい考察と推敲が削られます。
目安として、提出の 1 ヶ月前に全体の初稿ができている状態を目指します。 指導教員の赤入れは一往復では終わりません。 二、三往復を見込み、教員が読む時間(数日から一週間)を毎回の往復に入れて数えます。 提出直前の週は、体裁を整える作業だけで埋まります。 参考文献の整形、図表番号の通し確認、目次の再生成、誤字の確認。 推敲する で扱った推敲を、この週にやろうとしても間に合いません。
初稿は、完成してから見せるより、章ごとに出すほうが速く進みます。 序論と関連研究を先に出し、赤が返ってくるあいだに方法と結果を書く。 全部書き上げてから根本的な指摘を受けると、修正の量が大きくなりすぎます。
口頭審査への接続
学位論文の審査は、たいてい発表と質疑がセットです。 論文を書き終えてから発表資料を作り始めるのではなく、本文の図をそのまま発表に使えるように作っておく と、この時期がずいぶん楽になります。
質疑で聞かれることは、ほとんどが限界と考察に関するものです。 なぜこの手法を選んだのか、なぜこの条件で検証したのか、この結果はどこまで一般化できるのか。 論文を書いているあいだに「ここは弱いな」と自分で感じた箇所は、まず間違いなく聞かれます。 その箇所について、限界の節で先に書いておくと、質疑では「認識したうえで、この範囲で主張している」と答えられます。 隠した弱点は必ず見つかりますが、示した弱点は、たいてい議論の材料として扱ってもらえます。