研究テーマを決める
研究室に配属されて最初の数週間。多くの学生が口にするのは、判で押したように同じ言葉です。「先生、何をやればいいか分かりません」。あるいはもう少し控えめに、「自分のやりたいことが、はっきりしないんです」。
僕はこの言葉を聞くたび、いつもどこか安心します。なぜなら、最初からテーマがくっきり見えている学生のほうが、たいていの場合、あとで難所にぶつかるからです。「与えられた課題」をすぐに自分の問いだと信じ込んでしまうと、途中で迷いが生まれたときに、戻ってこられる場所がなくなります。逆に、最初に「分からない」をきちんと味わった学生は、その分からなさを抱えながら少しずつ問いを育てていく。あとから振り返ってみると、こちらのほうが研究者として骨太になっていく、というのが僕の率直な実感です。
だからまず最初に伝えておきたいのは、 テーマ決めは焦って終わらせる作業ではない ということです。完璧なテーマを最初から見つけようとしないでください。小さな問いを、走りながら育てていけばいい。そのための足場の組み方を、この章で一緒に確認していきます。
「なぜ」から始めるということ
僕がいちばん大事にしているのは、 あなた自身の「なぜ?」「どうして?」から始めること です。流行のキーワードでも、就職に有利そうな分野でも、先生が褒めてくれそうなテーマでもなく、まずはあなたの素朴な疑問。
たとえば、「プログラミング初心者は、どうしてみんな同じところで詰まるんだろう」。「なぜ良いコードと悪いコードを、人は感覚で見分けてしまえるんだろう」。こういう一見ふんわりした問いが、実は研究の出発点としてはとても優秀です。なぜなら、それはあなた自身が本当に気になっていることだから。半年や一年、一つの問いに付き合い続けるためには、最初の動機が他人のものでは保たないのです。
もちろん、素朴な問いをそのまま研究テーマにすることはできません。素朴な問いは、まだ「日常の言葉」でしか語られていないからです。これをこの先、学術の世界の言葉に翻訳していくことになります。それが、文献調査と研究計画という、この章で扱う二つの作業です。
この章で扱うこと
テーマ決めを「ひらめきが降ってくるのを待つ作業」だと誤解している学生は少なくありません。実際には、これは地続きの作業の連なりであって、待つよりも動きながら見えてくることのほうが多い、というのが僕の感覚です。この章では、その作業を二つの節に分けて扱います。
ひとつめは 文献調査の基礎 です。あなたの素朴な問いを、学問の世界の中に位置づけていく作業を扱います。すでに何が分かっていて、何が分かっていないのか。それが見えてくると、あなたの問いの輪郭が急に立ち上がってきます。
ふたつめは 研究計画の立て方 です。位置づけられた問いを、「限られた時間で解ける形」に翻訳する作業です。ここでは、完璧な計画ではなく、走りながら調整していける計画の作り方に焦点を絞っています。
この二つは、順番にやって終わる作業ではありません。文献を読みながら問いが少しずつ変わり、計画を立てたあとにまた文献に戻る――そういう往復運動のなかで、テーマはじわじわ育っていきます。
「現象」ではなく「概念」を目指す
細かい手順に入る前に、僕がテーマ決めで毎年のように繰り返す話を、ひとつだけ書いておきます。それは、 「現象」ではなく「概念」を目指す ということです。
目の前の面白い現象を調べて終わりにしないでほしい。そこから抽出できる、もう一段抽象度の高い概念のほうを、テーマの軸に据えてほしいのです。たとえば、「プログラミング初心者が同じところで詰まる」という現象に、「認知的混乱の瞬間検出」という名前を与える。「コードレビューでの違和感」という現象に、「経験的判断の言語化困難」という呼び名を与える。そうやって名前をつけられるようになると、テーマは一気に研究らしい顔になります。
これは小さな違いに見えるかもしれませんが、その後の研究の伸びしろを大きく左右します。現象だけを追っていると、研究はその現象が起きる場面のなかでしか通用しません。でも、そこから概念を取り出せれば、別の場面、別のドメイン、別の対象にもあなたの仕事が届きうる。研究が「個別の話」から「他人にも使ってもらえる話」に変わる瞬間です。
ひとつ問いを置いておきます。「あなたの研究を、十年後に誰かが教科書で参照するとしたら、それはどんな『○○モデル』『○○理論』『○○手法』として呼ばれているだろう?」。最初は答えに詰まるのが普通です。でも、この問いを抱えながらテーマを育てていくと、自分の研究の輪郭が静かに変わっていきます。
完璧な答えは要りません。まずは、現象の向こう側にある概念を想像してみる。それだけで、テーマ選びの手触りはずいぶん変わってきます。次の節では、そのために避けて通れない作業――文献調査の話をしていきましょう。