創造と反復
「研究はクリエイティブですね」と言われるたびに、少し違和感を覚える
「研究ってクリエイティブな仕事ですね」と言われることが、たまにあります。たしかに、新しい何かを世界に出すという点で、研究は創造的な営みです。でも、そう言われたときに僕がいつも抱く小さな違和感があります。それは、世間で「クリエイティブ」と言うときに連想されがちな、ひらめきとかセンスとか天才性とか、そういうものと、研究の創造性はかなり質感が違うということです。
研究における創造は、霧の中から突然立ち上がってくる虹のようなものではありません。もっと地味で、もっと地道で、何度も同じ道を行ったり来たりしているうちに、ある日ふと「あ、こうか」と形が見えてくる、という種類のものです。論文を何本も読んで、調査や実験を何度もやり直して、立てた仮説を自分で壊してまた建て直して、書いたものを何度も読み返して構造を組み替える。この 「考え続ける時間の蓄積」こそが、研究における創造の実態 です。だから、もし誰かに「自分はひらめき型じゃないから研究は無理」と言われたら、僕は迷わず「むしろ向いているかもしれませんよ」と答えます。
反復からしか見えてこないもの
最初に読んだときには「ふうん」としか思わなかった論文が、二回、三回と読み返しているうちに、その論文の構造や問いの含意が立体的に見えてくる、ということがよくあります。逆に、自分では完璧だと思っていたアイデアが、人に何度か話しているうちに、根本的な見落としにふと気づくこともあります。これは、新しい情報が入ったから理解が深まったのではなくて、 同じ対象に向き合う回数が増えたことで、自分の側の解像度が上がった ということです。
研究の創造性の核には、この「反復が解像度を上げる」という現象があると僕は思っています。それは単に作業を機械的に繰り返すことではなく、同じ対象に何度も向き合いながら、毎回少しずつ違う角度から見ていく、という意識的な反復です。一回目の自分と五回目の自分は、もう同じ対象を見ているようでいて、実はかなり違うものを見ている。この差分の積み重ねが、最終的には誰も気づかなかった視点や構造の発見につながっていく。
なぜ創造には時間がかかるのか
現代は、即時性に強くドライブされた時代です。すぐに答えが欲しい、すぐに結果を出したい、すぐに評価されたい。SNSやAIの普及はこの傾向をさらに加速させていて、僕自身も日々その引力を感じています。けれど、創造というのは本質的に「遅い」行為です。本当に面白い問いを見つけるには時間がかかるし、深い理解や意外性のある視点は一夜では得られないし、書くたびに思考は更新され、表現は練り直されていく。
ここで必要になるのは、 時間をかけて考え続けることに耐える力 です。耐えるという言葉が重いなら、慣れる、と言い換えてもいい。すぐに答えが出ない状態を「異常」と感じるのではなく、「これが研究のデフォルトの状態だ」と受け止められるかどうか。この時間感覚を自分の中に育てられるかどうかが、研究を続けられる人と途中で離脱する人を、わりとはっきり分けているように僕には見えます。即効性や効率の物差しを一旦脇に置けるかどうか、ということでもあります。
創造性は、才能ではなく姿勢である
「自分にはセンスがないから」「もともと創造的なタイプじゃないから」と感じている人は多いと思います。けれど、研究における創造性は、特別な才能ではありません。問いを持ち続ける姿勢と、繰り返し考え続ける意志から生まれるものです。創造とは、何かを思いつくことではなく、思考をあきらめないことです。これは僕自身が、何人もの優れた研究者を間近で見てきて、繰り返し確認してきた事実です。彼らがすごいのは、ひらめきの瞬間ではなく、ひらめかない期間に思考をやめないところでした。
だからこそ、誰でも研究者としての創造性を育てていくことができる。最初から派手な何かを生み出す必要はなくて、目の前の小さな問いに対して粘り強く向き合い続ける、というその一点を守れれば、創造性はゆっくりと育っていきます。その積み重ねが、長い時間をかけて、世界にとって意味のある知の輪郭をかたちづくっていく。
創造性は才能ではなく態度であり、誰もが鍛え、実践できるもの——これがこの章の核です。