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個人の問いと動機

内発的動機の哲学的側面は第1部:内発的動機付け、長期的なキャリアでの管理は第7部:モチベーション管理で扱います。ここでは、あなたの問いと動機がどこから来て、どう育つかを考えます。

小さな違和感から始まる

研究の入り口に立つと、多くの人がある種の緊張と不安を感じます。「これをやる意味はあるのだろうか」「自分の問いに価値はあるのか」。ときには、周囲の圧倒的な優秀さや、テーマの小ささに目を奪われ、自分の問いを過小評価してしまうことさえあります。新入生の頃、ゼミで先輩たちの壮大な議論を聞きながら、「自分の関心ごとなんて、ここで口にするほどのものではない」と縮こまってしまう――そういう経験をした人は少なくないと思います。

けれども研究の多くは、実のところとても小さな違和感から始まります。なぜこうなるのか、なぜ誰も気にしていないのか、なぜこういうやり方が当然とされているのか。その違和感を見過ごさず、問いとして立てる。そこが研究の出発点です。立派な問題意識を後から取り繕うよりも、最初に芽生えた素朴な引っかかりを大事に育てるほうが、結果的に強い研究になることが多いと僕は感じています。あなたが日常の中で何度もよぎるささやかな疑問を、まず捨てずにメモしておくこと――そこから始めて構いません。

問いの成長を見つめる

問いは、最初から大きなものではありません。むしろ、手元の具体的な問題にしつこく食らいつき続けることで、徐々に背後にある構造や普遍性が見えてくる。最初に「この機能、なんでこんなに使いにくいんだろう」という小さな引っかかりだったものが、半年後には「人と機械の協働とはそもそも何か」という大きな問いに繋がっていく――そういうことが本当に起こります。

たとえば、あるアルゴリズムの小さな改良が、実は「人と機械の協働」という大きなテーマに通じていることがあります。教育現場でのデータ分析が、教育の公平性という社会課題に接続していくこともある。問いは育つもので、しかも勝手に育つわけではありません。それには時間と粘り強さ、そして自分の問いに対する誠実さが必要になります。問いを育てる過程で、最初の素朴な引っかかりは姿を変え、ときには見覚えのない場所に連れていってくれます。その変化を恐れずに追いかけることが、研究者としての醍醐味のひとつです。

メタ視点で問いを位置づける

大切なのは、具体の問いに没入するだけでなく、そこから一歩引いてメタ視点を持つことです。具体に没入する力と、メタに引き上げる力は、研究者にとって両輪のように働きます。

メタ視点とは、たとえばこんな問いを自分に向ける習慣のことです。自分の問いは、どんな分野のどんな文脈に接続しているのか。この問いを解くことで、どのような知の地図が書き換わるのか。今の問いの背後に、より大きな問題は潜んでいないか。こうした問い方ができるようになると、研究は個人的な興味から、社会的・学術的意義を持つ営みへと引き上げられていきます。そしてそれは、論文や発表の場で最も求められる「自分の問いを説明する力」と直結しています。査読者や聴衆が知りたいのは、あなたが何をしたかと同じくらい、それが何を意味するのかなのです。

問いに向き合う覚悟

問いを持つことは、ときに苦しみも伴います。「なぜわからないのか」「なぜ進まないのか」――研究はしばしば、自分の無力さや未熟さを突きつけてきます。実験が思うように動かない夜、書こうとした文章がまったく言葉にならない朝、頭をひねっても解けない問題を前にして自分の能力を疑う瞬間。そうした時間を抜きにして研究は語れません。

それでも問いを抱き続ける覚悟こそが、研究者としての資質のひとつだと僕は思っています。最初から完璧な問いを立てる必要はありません。むしろ、問いとともにあなた自身も変化していく、その過程を受け入れる柔らかさとしぶとさが、問いを育て、動機を深める道になります。動機は最初から完成しているものではなく、問いを抱き続けるなかで、ゆっくりと自分のものになっていく。だから動機が今ぼんやりしていても、それを理由に問いを手放さないでほしいと思います。